「ムネオ疑惑」海兵隊実弾演習にも
巨額の血税を分配
矢臼別平和委員会事務局長 吉野宣和さん
(日本平和委員会 『平和新聞』02.3.5号より)


 「沖縄の痛みと苦しみはよく分かる。その苦しみを別海町民に一部たりともさせることは私としては忍びない」-これは1996年1月11日付『しんぶん赤旗』に載った佐野力三町長の談話の一部です。
 その前年、沖縄県道104号線越え実弾訓練の本土移転が表面化したその時から佐野町長は「うけいれ」拒否を言明していました。21の住民組織・団体からの反対要請、3万枚を超える激励・反対要請はがき、町内11ヵ所で開催下「町民の声を聞く会」での住民の叫び、繰り返された集会、デモ、交渉ーの中で町長は「国の防衛政策に対する立場の違いをのり越えていっしょにたたかう」とし、周辺三町の「共同歩調」を繰り返し公言していました。
 その佐野町長がその年の12月18日、別海町議会で「うけいれ」決議を強行、104号線越え実弾訓練本土移転の突破口となったのです。そのなりふりかまわぬ暴挙の影に色濃く見え隠れしていたのが鈴木宗男衆院議員でした。

 折衝107回、陣頭指揮

 当初、鈴木宗男氏は、「米軍演習は矢臼別ではなく、沖縄に気候・環境が近いところに移転するのが一番」(『北海道新聞』96年1月17日)とし、彼が大きな影響力を持つ地元住民も「鈴木先生が矢臼別には来させないと言っているから」と反対署名などにも冷ややかだったものです。
 やがて鈴木氏は「おれが体をはってでも治安は守る。平和委員会や共産党とは一緒にやるな」とふれまわり、8月12日、別海町臨時議会で追加議案として「米軍移転問題特別委員会」の設置を強行したその日、町内の後援会や自民党(後援会代表は町議会議長)役員らを集めた席上、鈴木氏は「住宅の防音工事、パイプ製の牧柵設置、農民の移転補償」を示し、「米軍の訓練はごく軽いもので、農家の環境整備もすすむ」として「賢明な判断を」とうけいれを促しました。(8月13日付各紙)
 これと前後して政府筋もしきりに「防衛予算で最優先」「迷惑をかけるとことには手厚く」などと流し、うけいれ条件をすり合わせていました。別海町議会がうけいれ決議にいたるまでのこの時期3ヵ月半の間に、施設局長クラス以上の折衝が107階も行われていました(97年2月27日、衆院予算委資料)。
 鈴木氏がその陣頭指揮をとったと思われます。

 町長を「ら致・監禁」

 陸自別海駐屯地のある町内西春別地区は、地区人口の30%が自衛隊と家族でその依存度が高く、第5師団の旅団化構想に伴う削減を恐れ、「駐屯地存続」運動が起きていました。佐野町長は平和委などとの交渉(96年10月25日)で「一方(海兵隊移転)に反対すると他方(駐屯地存続)がだめになる(と言われた)と「報復」という言葉を用いて述べています。「おどし」があったことは事実です。
 別海町議会が受け入れを決めた直後の12月20日、予算陳情に上京した隣接の厚岸、浜中両町長が、羽田空港から鈴木宗男氏の事務所に連れて行かれ、「ら致・監禁」同様の状態で「うけいれ」を迫られる事件がおき、国会でも取り上げられました。厚岸町議会の議事録には澤田昭夫町長(当時)の生々しい証言が記されています。澤田町長はこの日を「屈辱の一日」と振り返り、「町づくりは・・・大きく国に依存しなければならない。そうした首長の弱点をついてくるようなやり方・・・アメとムチの使い分けで翻弄されてしまった」「(鈴木)代議士のことの運び、強引さ、私自身、ほんとうに人間扱いをしてもらえなかった」と質問に答えています。

 予算をちらつかせて

 海兵隊うけいれに対する自治体の姿勢はそのまま予算配分に反映されました。翌年度の特別地方交付税で、突破口となった別海町には前年比の50%増、一歩遅れた厚岸町は30%増、反対をし続けた浜中町は0%。「国にしてくれたものに対する配布、これがこの国の民主主義だ」と、鈴木氏は豪語したのです(97年7月6日、日本テレビ系『ドキュメント97=基地転がしの果てに』)。この鈴木宗男氏が、予算をちらつかせながら別海町長に「海兵隊を毎年受け入れてはどうか」とすりよっていることも厚岸町議会(00年3月7日)で明らかになっています。
 矢臼別演習場で、移転訓練が開始された1997年9月、当時の北海道・沖縄開発庁鈴木長官が米海兵隊員34人を招待、周辺自治体や自衛隊幹部も交えて16日、駐屯地体育館で歓迎夕食会を主催しました。鈴木氏は「次は防衛庁長官になるので私の名前を覚えておいて」などとあいさつ、陸自音楽隊の演奏も行われました。個人主催の派ティーに陸自音楽隊が「公務」演奏したのは初めてのケースだそうです。

 関連企業が政治献金

 今、外務省を私物化し、食い物にしたと糾弾されている鈴木宗男氏は同じ手口を用い、防衛予算をえさにして、県道104号線越え実弾砲撃訓練の本土移転に大きな役割を果たしたのです。周辺農家の移転補償(対象59戸)費、実施済み11戸で25億円、約800万円の工事費で391戸を対象とする防音工事、延々とつづく1メートル約1万円のパイプ製牧柵工事(以上、別海町のみ)。演習場内には米軍施設が建設され、巨大な砂防ダムも次々とつくられています。更に米軍の移転経費、滞在経費など、巨億の血税が湯水のように費やされています。それらの工事の分配に預かる企業、監視行動でチェックしたバスやトラックの会社、それらの名前が、鈴木宗男氏の政治団体寄付名簿にびっちりと並んでいます。